講演会スピーカーー活動家について
活動を活発にしたり議論するのも若気の至りと言う奴で、その様な部分でも考え方が秀逸な人ほど独善的な当事者活動当事者会自助会自助グループ活動拠点、そして当事者、性別移行の界隈と距離を置いていた人は埋没にも走って行っています。
昔からT性別移行の界隈だけでも相当の犠牲があって今に至る訳です。
「人を傷つけない」と言っても現状の活動一つ、講演会の一つだけでも違和感を持って「自分の考え方がやはり違うんだ」と思い込んで自死意識も生まれる様です。
前にも書きましたが「当事者が講演会をする」という事は「沢山の当事者の命を背負う」事にもなります。
話を戻しますがそれだけ沢山の「考え」があるという事、それを受け止める事、それはすなわち「多様性ダイバシティ」なのです。
私が初めてスピーカーとか講演会で話したのは去年の愛知県大口町が最初です。
性別移行をしてやはり約30年近く経ってからです。
それだけ沢山の当事者さんの気持ちを持って挑んだ訳でなにも「自分だけの経験談」や「自分史を話しただけ」ではありませんでした。
これが私が初めてやったスピーカーのほんの一部の資料でもあります。
まあ約30年近くの行動資料なども就職活動で名古屋レインボーに立ち寄って来ていた若いオープントランスの当事者さんにも見せて置きたかった部分も沢山ありましたけれども。
T性別移行の当事者講演会って結局は「経験の積み重ね」など沢山の当事者さんの気持ちや生き方を背負ってやる事なので当事者単独での講演会ではかなり難しいでしょうね。
当事者一人だけの講演会では「独善的」にもなり得て、その考えを「押し付ける」だけになりますから。
これでは来ている性別移行者からは嫌悪されるのが見えていますし、一般向けに理解啓発イベントを開いて、一般の方が現場に戻って活用しようとしてもやはり「乖離が出て使えないもの」になりますから。
まさしく神奈川県主催の「性的マイノリティ理解促進フォーラム」でスピーカーをしたLGBTs活動家の杉野文野氏がそれでしたので。
そんな感じで私はまだまだ先に進みます。