hitomi Diary's

なんもないただの愚痴

新宿育ちー懐かしい思い出

こんにちわ。

noteに登録して差別化を図りますのでそちらもどうぞ。

note.mu

 

フェイスブックで懐かしい話が出て「それじゃあ書こう」と思いました。

まだまだ「性同一性障害の概念」が出る前の情報を求めて出歩いていた時の事です。

私はパソコン通信で情報を得る前に商業的な「女装サロン」に数回出入りしていました。

やはり「なんか違う」と思って暫くは行きませんでしたけど、その後パソコンを手に入れて、当時の「T’s系」と言われるパソコン通信で交流をしたのが活動の始まりです。

ここで活動名の「松永瞳」が誕生いたします。

色々と交流してみてある女装さんのお勧めでした、当時の新宿三丁目の女装バー「びびあん」にたどり着きました。

三橋順子氏のブログに写真も上がっていますのでご参考に。

junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp

こちらのママはビアンでしたが女装さんにも寛容的でしたので、この意識も現在の私の「多様性ダイバシティ」にも反映してくるのでは無いでしょうか?

着替え部屋も一時期借りましたけど、やはり「なんか違う」で退室させて頂きましたけど、「びびあん」に集まる女装さんは優しかったですね。また常連の男の人たちも、後に交流しますけど優しい方ばかり。

亡くなったSさんは私が始めて女装した時に写真に一緒に入って下さったり、Oじさまなど。

一番なのはこちらも含めてパソコン通信や私をいろんな所に連れて行ってくれた女装のA姉さん。

私が治療を始める時にも相談しました。そして「性別違和」を私の前で泣いてくれたのも姉さんでした。だからこそ女装さんを軽蔑せず受け止められる意識が未だに残っています。

周辺の女装バーには情報や交流を持ちに出かけました。

アクトレス」「青い鳥」「ジュネ」などに。

まあこういった交流でも古くからいる在職トランスジェンダーさんや女装さんにも出会いました。ご挨拶出来て何よりでした。

まあ女装さんやトランスジェンダーさんにはご迷惑お掛けした部分もありますが、何とか失敗を生かしてここまで来ています。本当に感謝しなければいけません。

 

新宿から離れたのが、地元の近くに女装をされる方が在住していて、そちらを重視してお付き合いしていましたら、女装さんの「キャンディ・ミルキー」さんにも出会う事にもなりました。

元々活動もインターネットのホームページも持っていたので地元在住の女装さんと繋がるのも神戸在住の女装さんを通じてでしたけど。本当は地元在住の「女装さん」と書いていますが、彼女は地元九州に帰り「性同一性障害の診断」を受けるために地元でメンタルクリニックを発掘して、岡山大で意見推薦状を取り、SRSして現在は「普通の女性」として暮らしています。私の妹分にもなり、現在もお付き合いさせて頂く仲にもなりました。

 

もう新宿や遊び歩く事も少なくなり、私も再起動で活動?し始めましたけど、私も「普通の女性」としての暮らしもありますので。

これも私の自分史なのかな?お金を取る程書きませんが。

 

それと少しLGBT関係で情報を上げますが、横浜野毛のポルノ映画館の「光音座」に先日前をバスで通りましたら「レインボーフラッグ」が掲げてありまして、腰を抜かしました(笑)横浜の野毛と言えばゲイバーもある地域ですけど、私は行きません。

yokohamakouonza.blog.fc2.com

以前新宿で遊んでいた時の女装の姉さんが連れて行ってくれた、横浜駅西口のポルノ映画館で古株でもある女装さんでもある自称トランスジェンダーさんが来ていたり、女装さんが集まり、ここでも「性別移行者のコミュニティ」が少なからずありました。

私は姉さんに連れて行って貰っただけなので新宿と同じく長くはいなかったですが。

その映画館が壊されているので、こちらの映画館が「レインボーフラッグ」を掲げるのも判る様な気がします。元々あまり立ち入らない地域ですが、野毛のセンターとか横浜にぎわい座あたりにはいきますけど。

 

そんな感じで懐かしかったので、昔話も少しして見ましたが、三橋順子氏や先人たちに言わせれば私なんぞ「まだまだひよっこ、若手」なのかも知れませんね(笑)

でも世代交代は着実に来ています。

 

では。

#一人じゃないよ

#横浜の明日へ